自分がひっぱる

続き物の漫画って、昔から描く方法がよくわからない私。

「続く」ってのがよくわからない。

でも「続く」がなくて延々と描く、みたいのは違和感がない。

もしかしたら、物心つく頃から漫画より小説ばかり読んでるせいかもしれません。

漫画って読むのそこそこ好きなのに、入り込めない。

小説は没入できるのに。

描く側ならそれでいいという考えもありますが、

描く側の客観性を、心の奥底で猛烈に拒否してる自分もいるので、

そういう漫画との関わりかたを肯定しきれないという。

ロジカルに描くというのが苦手で、そういう作品も好きではなくて。

プロット(あらすじ)を先に作る、という作業は、どうしても脳内に存在しない回路で描かねばならなくてストレスでした。

そういうのもあって、同人誌だけ描いている今がいちばん気楽です。

妊娠出産、育児。

この5年の間に、自分の中からいろんな既成概念が、すこ〜しずつ取り除かれて。

◯◯しなければならない、という思い込みがどんどんなくなっていきました。

自分の中で生活と漫画についてもっと整理しないと先に進めないもどかしさがあって、

その整理期間が5年間だったろうと。

子どもが幼いのでまだしばらく整理期間は続きそうですが、

大事なことは手を動かし続けること。

どういうわけか、幼いころから自分の中にはっきりと「物ごとの順番」があって。

ひとつひとつのターンをしっかり終えないと、次に進めないんですよね。

(不登校のころもこの順番をとばせず「勉強より先に◯◯やれ!」という心の声に従ったとしか思えない。現にその後高校は問題なく進学したし…)

でもうっすら未来はわかるので、方向は間違えないで済むんですけど、

順番をとばせないので、ジリジリしながら目先の課題に取り組んでいる、という。

自分の心の奥底で決めている順番と、

不特定多数の世間でのベーシックな人生の順番と、

ズレがあるときに周囲と激しく摩擦が起きてきたと思いますが、

結局は自分の心の奥底の声に従って生きてみて、ひとつも後悔したことがない、というのがすべてを物語っているんだろうと感じます。

生まれてくる前にはっきり、設計図を作っているらしい、とか。

導き手の高次の自分(スピでハイアーセルフとかいう)とか。

心の奥底の声って、そういうものなんだろうと。

わりとざっくりでも生まれてきた目的を設定してきていて、

ある程度それに適した誕生日に生まれるようになっているんだろうな、と。

そんなふうに考えることがよくあります。

設計図を作った自分は、何かを語ってくれるわけではないんですけど、

設計以外の方へ行こうとする自分を、容赦なく何度も引っ張り戻しました。

(漫画描かずに別の仕事に就こうとしたときとかw)

そしてそういう時期って、すごく体調崩すんですよね〜。

そんなときは心の奥底の自分を頑固だと思ったこともありますが、

頑固どころか、自分にとって正しい方へ自然な方へ、引っ張っていってくれている。

これからはもっともっと、もっと自分を信じようと思いました。

ばあやの大事にしている菊
(↑ばあやの大事にしている菊。手前の菊はナスが挿した)

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