変わっていくこと

新型なんちゃらがニュースを席巻していて、毎日テレビ画面を観るのが苦痛になっているところ。

ニュースは知識として必要でしょうが、何度も何度も耳目に取り込んでいい内容かどうかは考えなきゃと思っています。

新型については、個人が最大限免疫力を上げる努力が最善策、と思っています。

普段から食事を気にしたり運動習慣を持ったり、

自分の体のメンテナンスが習慣になっていればいいのだろうと。

でも自分の体のメンテナンスって、手間と時間が必要です。

肌が弱い人は手作り化粧水作ったり、

虚弱気味の人はいざというときの回復レシピを普段から探したり。

早朝ウォーキングの時間が必要だったり。

整体の技術を自分でも勉強してみたり。

そういう時間を自分のためにわざわざ持って、自分の健康を作る。

その時間を捻出するために今を利用するのがいいのかな、と。

ブラック企業という言葉が生まれてもう10年くらいでしょうか。

かつてブラック企業にはブラック企業なりの存在意義みたいなものがあったと思います。

でももう、そういう、

自分の肉体の酷使を美化する文化みたいなものが、いま終わっていっているのかもと。

そんな気がして仕方がないのです。

7年くらい前に、新人の漫画家だったころ。

「流産してでも締め切りを守らなきゃいけないのよ!」

と、若いのに白髪だらけの女性の担当編集者に怒鳴られたことがあります。

(締め切りは守ってたけれど、普段の私からやる気を感じなかったのでしょう、きっと)

そのときに、

「こういうことを言われるような働き方を、私はしたいのだろうか?」

こんな疑問がふと湧いてきて。

結局そのあと、預けていた原稿をすべて返却してもらったという経験があります。

腹立たしいことに、原稿を返却してもらうのに、居留守を使われ、とても時間がかかったのを覚えています。

嫌な思い出のひとつです。

でも、今でも私は、別に自分が正しかったとは思っていません。

ただたんに、こういう働き方、文化の中で生活していくことを拒否したということ。

でも。

もっとずっと前、若いころのアシスタント時代は、この編集者なぞ比べ物にならないくらいのスーパーブラックでした。

そのブラックな働き方によって、描くのだけはちょっと早くなったのでした…。

そのおかげで、その後売れないながら漫画で生活できたので、漫画の師匠には感謝しているんです。

つまり、私自身はブラックなアシスタント時代が必要だった。

未熟だったから、そういう苦労が必要だったんだろうと、答え合わせしているんです。

でもこれから先って、そんな奇妙な、苦労のようなもの、必要なのだろうか??

そんなものなくても、今の若い人って、日々のことを淡々とこなしている気がしてならないんです。

今の若い人って、ひとくくりにしすぎているかも知れませんが…。

それでも、

今までのような働き方、生活の仕方が、今後何十年とずっと通用するわけないよなと、感じています。

なぜなら、

自分を酷使して犠牲になってきたものの代表は、たぶん、家族との不和。

上記の編集者の口癖は「男なんて馬鹿ばかりなんだから」。

自分がどんなに優秀でも、こんな性差別的な発言する人が家族にひとりでもいたら、誰でも不快じゃないですか?

ブラックな労働の世界にいる人ってそもそも、家族関係が破綻している人、多くない??

なんかもう、今回の新型なんちゃらって、行きすぎたバランスをもとに戻す、変化する。

そういう意味合いで捉える時間を与えられたのかもと、感じてしまうんです。

どうしても私が、自分の拙い人生のフィルターを通してしか、世情を解釈できない、というのはあります。

でも、私自身に子供ができて、

「あ〜家族っていいなあ」

と、心から思っているので。

大好きな家族と暮らすということの幸福を毎日感じているので、

実際に締め切り守るかどうかはともかく、

「流産してでも〜」なんてセリフがまかり通らない時代になってもいいじゃないか、と。

これから未来に、不安もあるけど、希望も見えるような。

今はそんな気持ちです。

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