機能不全家庭の根本原因と悟り

ここ1年ほど努力したことと考えていたことをつらつら書きます。

私は育った家庭が新興宗教を熱心にやっていまして、家では父の題目と母への怒鳴り声が毎日のようにありました。

そんなわけで10歳あたりから、家庭内と世間の大きなズレに苦しみ、小学5、6年と中学3年不登校してた子どもだったんですね。

で、不登校については当時も今もまったく後悔もしてないし、学校いっとけばよかったとかも思っていないんですね。

自宅でひとりで勉強してたから、進学に問題はなく。
あと友達もそれなりにいたからです。

むしろ周囲の大人が私の不登校を問題だと思って騒いでたことに、うまく対応ができず(子どもなので)ひたすら疲労したってのがあります。

もともと親の信仰心を理解しなければという思い込みが物心ついた頃からあるので、思春期からずっと、

「自分自身の本音や感覚」というものがわからなかった。

自分が何を考えているか、
自分がどう感じているのか、
自分がどういうものをキライなのか、が、30歳までまったくわからなかった。

そんななかで、好きなものだけはわかっていた。

それが漫画を描くことだったり、海外のホラー小説を読むことだったり、その時々でハマる様々なものでした。

キライなこと、キライな状況を、家庭内でたくさん受け入れてこざるを得なかったので、そのぶんバランスを取るかのように、プライベートでは好きなことにひたすら熱中していました。

で、両親が離婚した30歳の時に、そういうバランスは壊れ。
原稿料での生活が始まり。
亀との生活も始まり。
親がやってた新興主教もすんなり捨て。

そうしているうちに、私は初めて、自分が何をキライと感じる人間なのか、少しずつ自覚できるようになっていきました。

その後5年くらいは、過去に関わった人や、物事をひたすら思い出しては怒ったり、本人を前に怒ったり、新しい出会いを迎えたりと、自分の生活のフレームをゼロから作り上げるような作業をしていました。

やがて結婚して子供も生まれて、初めて、

「キライなものが生活の中にないということは、こんなに平和なものなのか」と実感。

私は何事も自分で選びたい、信仰も選びたい。
関わる人も選びたい、着る服も選びたい、持ち物も選びたい。
家族も選びたい。

すべて自分で選びたい性格の人間なのだと知りました。

しかしそれがわかっても、自分の中で、どう納得したらいいかわからない、生い立ちへの葛藤に変化はなく。
理不尽と感じる生い立ちについては、考えることを先送りにするという対策以外ないのかなと思っていたところへ、ある心理学との出会いがありました。

虐待などもすべて自分の心が作り上げるもの。
現実は潜在意識の投影であり、敵はいない。
親は100パーセント正しい、というような内容です。

1年前、この心理学のこの考え方にひとつの、終着点を見出したものでした。
(今も9割がた納得がいっている)

そんな流れで、2019年は自分の中で、過去の様々なことに折り合いをつけていくための1年になりました。

父にも会い、父方の親族にも会い、すべて自分の満足でしかないんですが、言語化しずらいけれど、きちんとなにか、肚に落ちたんだと思います。

そしてこの心理学の講座を受ける受けない、というちょっとした葛藤もあったんですが、結局、講座は受けずに、自分の感覚を手探りしながら、今に至っています。

「親や目上に従うべき」

というところは、やっぱり、自分ですべて選びたい自分には都合が悪い考え方で。

親に従って親と同じ信仰をしていたら、結婚はできなかったでしょうし、今の自分の家庭はなかったでしょう。

なんというか、幼い頃から、私の周囲で私の素行を責めていた大人や友人は、みんなきっと、親の言うことをきくいい子だったんだと、振り返ってみて、感じるんです。

ということは、彼らの言うことに耳を傾けても、そこに私の幸福はなかった、それがわかった30年だった、ということなんですよね。

これってただ単に、

自分と合わない人が周囲にたくさんいた。

という、たったそれだけのことなんだろうと。

虐待とかDVとか(亭主関白は現代においてはDV以外の何物でもないです)、母と夜逃げのように家出して、たったひとつのトートバッグで。
ストーカー規制法まで適用して、警察にも相談にいって。

そういう、もう、整理しきれずに周囲の人をたくさん巻き込んで、一気に全部を捨てた30歳のときのこと。

当時の自分にしては大変な出来事だったなと思うけど、結局、

合わない人間関係を断れずに、合わない中でただ苦しんでただけ、ということ。

そういうところ(悟り)にようやく今、自分が辿り着いたんだなと。
肚に落ちたんです。

あの宗教、あの生き方、あの人間関係が合う人は、それで何も問題なく日々を生きていけるんです。
合わなかったからDV騒ぎで調停になってまで苦労した、ということ。

住む世界が違う相手がたまたま家族で、そんな父を敵だと思って、住む世界が違う友人や幼馴染みたちを勝手にキライになっていただけ、という。

先日のカメデショーで、亀が好きな人たちとの出会いを堪能していて、しみじみ…

亀が大好きで愛してる、という共通の価値観がある人たち。

もちろん大人ですから、大人の関わり方なわけですが、それでも、30歳より前に関わった人たちの誰よりも亀好きさんたちの方が共通の世界に生きてる、と感じるんですね。

以前の私は、亀と一緒に山野草喰ってる生活の楽しみが分からないような人たちの中で、ただただ「家族だから、昔からの友人だから、先輩だから」というしがらみに苦しみ続けた。

もっともっと、細かなこと、人間関係も、選択すればよかった。
そう思った30年。

過去にメリットがあったとすれば、きっと、

違う世界の相手を理解をしようと努力するのをやめる悟りは得られた。
自分の世界をガードするという勉強にはなった??
結果、やりたいことを仕事にはできた。

とか、そんな感じなんでしょう。
愚かな自分といえばそれまでですが、時間が存在する以上、特に卑下することでもないのでしょう。

とにかく長年の葛藤に答えが出たことは、2019年の大きな収穫です。

DVや虐待、機能不全家庭の問題の根源は、家族どうしがただ、住む世界が違う人種だった、というだけ。

2020年は、もっと未来に目を向けられるでしょう。
来年はもっと、漫画に時間を使いたいです。

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