ステージ理論

漫画描いてた頃と比べて、今の方がなぜか勉強しています。

今までの人生を振り返ると、インプットとアウトプットを同時にできない傾向があるかもしれません。

インプット中は寝食どころか人間関係も忘れてインプットするんですが…。

でもアウトプット中も同じですかね。
いつも現実をおろそかにしている。

心ここにあらずで別のことばかり考えているのが習慣になりすぎてます。

最近はステージ理論というセミナーに参加しましたが、仏教の十界論と似たようなこと言ってるなあと感じました。

(⚠︎乱読、雑多な勉強の仕方してるんで専門的なことはわからない)

ただ違うのは、

そもそもステージの上下に優劣が存在しないという点でしょうか。

ステージ①
生存本能、失敗を恐怖、愛の不足
(3歳くらいまでの母性の愛を受ける時期)

十界論だと地獄界。
(地獄という形容が謎に感じます)

先進国だとこのステージ①が満たされていない率は上がると言うことでした。
(共働きとか??賛否ありそうですが汗)

私はなぜ親がやってた宗教をやめたかというと、そもそも、

「性悪説を採用し、罪悪感や原罪意識を利用して支配する」

こういう空気に同意できなかったからなんですね。

九星気学で言うと私の傾斜宮(一生涯の性質)は震宮傾斜です。

震宮には吉星もあります。

震宮傾斜は単細胞で自己中なので、自ずと周囲には自分と反対のしっかりした人が集まります。

つまり性善説とそれにまつわるデータしか更新されないんですね。

吉星のある震宮傾斜には性悪説はしっくりこないんです。

ですので、
ステージ理論はどこステージを否定するでもなく、むしろ基礎のステージの不足を徹底的に満たすことが先に進むカギであると説いています。
基礎練を怠るなということですね。

このあたりが非常にしっくり。心理学の基本ですが、

人生で蹴躓いたら、親との関係を見直せ!

という、今でこそこれ↑一般的に当たり前の考えになりましたけど。

ちょっと前までは、親との関係にひびが入ったままふたをする方法しか浸透してなかったように感じます。

ふたをしたまま
親を憎むかムリヤリ許すか、みたいな。

最終的に親を神と思えるところまで行けたら人生大成功ですが、

しかし、
仏教や心理学でも、そこに至るまでの順番が書かれていないというのが、多くの現代人の親子関係を修復不可能なものにしていますね。

少しまえに「毒親」というワードが話題になりましたが、

そういう単語で親を切り捨てないと進めない時期って、たしかに、あります。

憎しみというパワーで、親の精神的支配をふりほどかなきゃいけないからですよね。

私もそのパワーを借りて、実名を変えました。

ですが、あるところまで頑張っていると、突然、憎しみのパワーを面倒に感じるようになったんですよね。これも自然な流れだと思います。

恨みや憎しみを長期間だいじに持ってられる方がちょっと問題ある。

昔、そんなの乗っけた漫画原稿が雑誌に載ることが、正直すごく罪悪感でした。
(描き手の私の構成要素が怒りのエネルギー多めだったら、必然的に怒りが原稿に染み込みますよね…感覚的なものです)

たぶん誰かへの憎しみを乗っけた原稿からすごい名作が生まれることはザラにあるんでしょうけど。
(例→漫画家が編集者への怒りを原稿に乗っけるパターン)

私はある日突然、それで描くのがイヤになったんですね。
その日のことは忘れません(^_^;

ステージ理論のセミナーでは、性善説がふつーに前提の講義で、とてもよかったです。

人間、ほっとけば延々と争わないし憎まなくなる。
そんなの体力満々のときだけ。
もしくは大義名分がある時ですよね。
(立場的に責任とらなくていい時とかね)

不思議なのは、

昔聞いた仏教の話とよく似た部分のある内容のセミナーだったのに、

今では性善説が当たり前の空気の中でそれを聞いたってことです。

ステージは螺旋状の階層になっているというのを、絵のように感じとった日でした。

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