失われた孤独の時間。

日々、葛藤しています。




だらだらと、

授乳→家事→亀の世話→植物の世話→おやつしながら創作→授乳…

こういう流れで日々を生きています。
もちろん楽しい日々なんですが…。

この日々のタスクの潜在部分で、常に葛藤している自分がいます。
楽しい日常と葛藤の日常の、二重生活っていうんでしょうか。

ハミングしながら洗剤買いに行ってる道の途中、自分にとっての漫画ってなんだろうとか、どうやって生きていくべきかとか、シリアスなものを常に抱えてて。

正直今まで私は、シリアスなときって生産的ではない時期なので。
あまりいいことじゃあないな、と感じています。

たぶんこういう構造で生活してしまってる原因は、なにかひとつに打ち込んでないからかもしれません。

もともと子どものころから、あれもこれも描きたいから描くとかいって、特にあてがなくともあれもこれも描いたり作ったり、ぬったり、

人の顔を粘土で作るのにハマって3年間毎日ひとりで粘土こねてたり、
(キモい学生時代)

社会的な外界との接触時間、
プライベートで友人や趣味など遊ぶ時間、
完全私的空間(孤独な粘土の時間など)と、みっつを生きてきたと思うんですよね。

みんなそんなもんだと思うんですけど、中には完全私的空間を持たない人もいます。
(人の顔を粘土でコツコツ作る時間をわざわざ持たない人も多くいる)

私はこの完全私的空間があって当たり前で生きてきているので、これがなくなってしまっている現在、無駄に葛藤を多く持ってしまっているのは仕方がないのかもと。

そもそも当て所なく葛藤することってすごくエネルギーがいると思うんですけど、

私は学生時代、粘土に膨大なエネルギーを向けていたわけなんですよね。

あの頃はたっぷり時間があって、葛藤するよりも粘土をこねることにエネルギーを注げたわけです。




しかし今は違います。

エネルギーを注ぐべきは生身の人間(愛娘)であって、いかにこねるかなんてこととは種類の違うエネルギーの使い方をしなければなりません。

自分自身が孤独じゃなくなってしまってるんですね。
いつでもどこでも、自分ひとりではなくなっている。

目の前には娘がいるのです。
あと相変わらず亀たちと、植物がいます。

自分の内側からわいてくるエネルギーを、ほぼ自由自在に創作に当てていた出産前とは、何もかもが違って。

当然ながら母としてのタスクが優先で、自分の自由行動に制限があるわけです。

10年もたてばまた変わるんでしょうが、それはまだ先の話ですし。

じゃあ、この、粘土時間が葛藤に形を変えてしまっている状態を、どうしたらいいのか?

きっと細切れでも、エネルギーを創作に当てていけば少しはガス抜きになるんだと思います。
しかし、私は体力があまりありません…(高齢出産)。

昼寝は多く入れないと死んでしまいます。
ということは手始めに、スポーツジムに行って体力作りと、良質な睡眠の確保からでしょうか…。

な〜んてモヤモヤ考え葛藤していると、

娘がまだ夜泣きとかがなくてよかった〜とか、家族のサポートが手篤くて助かってるなあ〜とか、実感するんですよね。

あれ、ちょっといい話ですね。

チケット制のジム探しから始めたいと思いました。

オマケ

手作り名刺

スキマ時間に創作。手作り名刺。
いちおう名刺相(名刺の相、手相や人相のように名刺にも相がある)を意識して作ってみました。



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