ラクガキとか散歩とか

授乳、遊ばせる、散歩、寝かす、亀の日光浴…の合間に、こつこつ漫画を描いています。




午前のうちに散歩や沐浴が終われば、午後は亀の日光浴中に授乳すればいいので、少しらく。

スキマ時間に漫画を描くのは楽しい。

Pixivboothとかnoteで電子書籍販売をする予定でいます。

せっかちなので、遅々として進まない感じがしてもどかしいんですが、

さいきんデジタルで作画することに抵抗が消えたので、かなりストレスがなくなりました。

漫画が描きたいのに、アナログ作画と同じ感覚でデジタル作画ができないというのは、ツラかった…!



ツライと何事も続かないので、どうやって楽しくデジタル作画に慣れて行くか考えてたんですが、iPadにアイビスペイントのアプリを入れたことはでかかった。

重度のパソコンアレルギーだったのが、あっさり治った。

アシスタント時代、液晶を前にしたときあんなにじんましんとか出てたのに(実話)。

すべてにおいて楽しみながら習得する習慣をもっと意識したいです。

小雨練習イラスト

漫画を描きたくて描きたくて、いっつも描きたくて仕方ないのに、どうしてもネームを描けずにいました。

でも、家でラクガキ気分で描くぶんにはなんの抵抗もないんですよね。

描けない理由を考えてたんですが、たぶん根本的に、私が人をまったく信用してないことが原因なんだろうと。

自分と亀たちと、近所の神社の神様とかしか信頼してなかった。

これってすごく、あらゆる方面に無礼だ、とは思いました。

だけども、家族ができたり、子供ができたり、母と関係を修復したり、そうこうしているうちに、

誰も信頼できないならできないで、そのままでいいんじゃないか??

って思って。

こういう他者への深い不信感は、生い立ちとか後天的な経験が原因ではなくて、生まれたときから私がもともと持ってたものなのかもしれないと思ったんですよね。

だって、子どもの頃から絵や漫画が好きですが、誰かに読んでもらうために描いていたかというと、ちょっと違ってて。

ひたすら描いて、満足して、隣の席の子に見せて、ちょっと満足して、、、(←ここオマケ)

自分ひとりで描いてるだけでしあわせなんですよね。

私の描く漫画のむこうがわに誰かいるという想定じゃなくて、ただ自分が描くだけ。

自分のために描くということ以外に、私には漫画を描く動機がないんだと思います。

誰かに尽くしたり、思いやったりする気持ちで描くということはできなくて。

自分を思いやる気持ちで描くならしあわせでいられる。

自分の深淵に降りていって描いたものは、私ひとりのものっていう感覚なんです。

どんどん個人的に個人的に、こじんまり〜としていく感覚なんですが、それがいまの私には大事な通過点なんだろうと思います。

そのうち自分の子どものために、絵本作るとかくらいならできるのかもしれません。



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