こんなものには価値がない-26

2018年9月13日

さいきんさらに、過去が遠く遠くなっています。



我が家にDVがあったのは事実ですし、経済DVがあったのも事実ですし、父が盲信していた新興宗教によって私のかなりの時間が奪われていたのも事実なんですが。

両親の離婚から6年経って、ようやく過去のしがらみがなくなった中で生活するのに慣れたようです。

まぁ、父ちゃんは父ちゃんなりに愛情のある人だったんだよな。

正しい表現方法を知らなかっただけでさ。

母ちゃんも結婚したなら、父ちゃんに正しい愛情の表現方法を教えてやりゃよかったのに。

私は気をつけよっと。

とかなんとか、もうそんなくらいのかんじでしかなくて。

DVしたことなんて絶対許さない!って思ってた時期もありました。

許さなくていいとも思っていました、今もそれは変わりません。

でも、

新しい環境で日常を楽しめるようになっていって一定期間が過ぎると、もう、過去の出来事への怒りってどうでもよくなっちゃうっていうか。

父も母も、当時はそういう方法(憎みあい)でしか家庭を維持できなかったんだなって、他人事として、理解せざるを得ません。

私は父や母のように憎みあいや正当化の応酬で家族関係の維持をするつもりは一切ないので、

私のことは私のこと。
両親のことは両親のこと。

その境界線を意識して生活していくことができればいいかなと。



きっと両親は、自分たちの育った過程で、

境界線を踏みこえる、踏みにじられる、という経験しかしてなかったんだと思うんですよね。

境界線を踏みにじる行為が愛情だという認識しかなかったのなら、もうそれは仕方ない。

経験の種類の差がああいう事態(DV)を引き起こしたのだろうと。

当時の両親への理解は、だいぶ増えました。

でもいまでも私は、

もうすでに父に対し怒りはないけど、でも、2度と連絡することはない、という考え自体は変わりません。
(たまにふと思い出し怒りするとかはもちろんありますが)

それがバランスのとれた行動だと思っています。

今までのいろんなイヤ〜な事柄は、道を間違わないためには必要なことだったんだろうという感覚があります。

そう思えるくらい、いろんなこと、人、物を選びとるようにしてきて、よかったと思っています。

生まれた時にある程度恵まれていたら、ここまで選び直しをする必要はなかったかもしれませんが…。

思い出して怒ったり、でも、感謝する気持ちも出てきたり、さまざまな感情が常に自分の中に共存していることに、混乱することもあります。

でもそれは、DV云々とか関係なく、みんなそうやっていろんな自分と共存してるんだろうな。

これからは、自分の中に生まれる小さな気持ちすべてに、できるだけ通りすぎずに、向き合っていこうと思っています。

子育てをしていると、娘が何を今求めてるのかな??って考える瞬間が出てきます。

それと同じように、私も自分の気持ちのひとつひとつに耳を傾けようと。

自分で自分の声を聞くことが、自分を愛しなおす方法なのかなと感じています。



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