こんなものには価値がない-21

2018年7月17日

愛していないものを愛することはとても難しいです。

その努力のために、いったん自分の気持ちを、殺さなければならないからです。




私が長年患っていた、起立性調節障害の症状については別の記事で触れました。

私はこのほかに、日常的に神経痛がありました。
呼吸をするだけで胸部に痛みが走るのです。
特に中学生のころ、ひどかったです。

私は、父がおかしいと気づいたころ、たくさんの心理学の本を読みました。

そのなかに、

虐待する親でも許すことが大事、産んでくれただけでも感謝をする部分がある

という記述が多くあったように記憶しています。

私は自分が生まれてきてよかったと思っていますから、たしかにその点は言う通りです。

が、「結婚する、出産する、こいつを育児する」と決めたのは、親です。

責任は、五分五分だとしか思えないんですね。

なぜ虐待はこうも、裁かれずにのさばるのか、私は今も理解できません。

虐待されながら、相手を許すなんて、すべきではないって、今ならわかるんですけど。

自分がその環境と離れて、幸せになったあとで、許せるなら許せばいいと思います。

だけど、本にはそこまで詳細に書かれていないんですよね。
(10年くらい前からは、許さなくてもいい、というような内容のものも増えてきましたが)

私は当時ずっと、一緒に暮らしている父(と母)を許そう、愛そう、と努力をしていたのだと思います。

こちらの思いやりに、冷水しか浴びせてこない父と、無反応な母親を、愛する努力をしていました。

その結果、いろんな病気になっていったのだと思います。




父と暮らしていたころ、

愛せないものを愛する努力をするのが日常になっていました。

父をはじめ、友人選びも、やりたいバイトも仕事も、なにもかも、

愛する努力が必要なものを選ぶクセがついていました。

だからだと思いますが、
身の回りにはしっくりこないもので溢れかえっていました。

着ている服も、履いてる靴も、化粧品も、
人間関係も、ぜんぶ。

今なら、ダメな生活習慣だとわかります。

今では母とすっかり仲直りしています。

きっと、血の繋がりがなくても、母とは友人になれるんだと思うんです。

でも、父はそうじゃなかった。

プライベートでは避けて通るような人を、理解する、愛する努力をするって…

私と父はボランティアの繋がりでもないし、

仕事で関わってる関係でもないのですから。

そりゃ、消耗しますよね。

近年、親を捨てる、という決断もわりと市民権を得てきましたが、まだまだです。

もうちょっとメジャーになってもいいかなって、思ってます。



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