こんなものには価値がない-20

2018年7月17日

まだまだ記憶は近いものの、

我が家のバイオレンス父ちゃんが発達障害で母親がカサンドラ症候群だった

という、言語化ができてくると、少し落としどころができてきました。




父との思い出がすべて不快かというと、そうでもありません。
ほんとうに数えるくらいですが、楽しかったこともあります。

最初の方の記事で書いた、

金魚の病気を独自の方法で治してしまったこととか、

負債だらけの会社に転職しちゃったあと、社長の自殺を救出とか、
(しばらくのあいだ元社長から高級肉が届いた)

長時間のドライブ連れてってもらったこととか
(父が発達障害だったからこそ無言で行くあてのない長時間ドライブが可能だったのではないかと思っている)

私に熟女のいかがわしいDVDコレクションを自慢とか
(これについては父の無神経さがおもしろいほうに振れた記憶として分類)

特筆すべきはそのくらいですが…




とにかく悪意はないけど不愉快なことしかしなかった父。

母と家出をしたあと1年くらいは、

父との関わり方がもっと違っていたら、父をDV加害者にせずにすんだのかな?
と考えていたこともありました。
(加害者になる人のそばには必ず被害者になる人がいる、という説)

もっと褒めるとかプラスのアクションをしていれば、父の無神経も改善されてたのかな??

でも、私は起立性調節障害&子どもの立場だったのであって。

本来そこまで考えなければならなかったのは母と専門家だったのだろうというのも、理解しています。
(カサンドラ側の配偶者がそこまでしなければならないかはおいといて)

母と家出を決めた20日間、

すごくナーバスな自分と、
すごくウキウキして心踊る自分がいました。

2012年の9月に、母が離婚したいと言い出して、
その月のうちに、

市役所や警察署やいろんなところへ行って
住まいも決めて、必要な写真を抜粋して
持っていくものを決めて

こっそりケータイ(ガラケー)も替え、

そうした日々の中で、
父との生活も同時に進行していました。

家出計画などなにも知らない、いつもどおり悪意のない無神経な父に、

なんだかかわいそうだなぁ、という思いもありました。

でもそれ以上に、

両親のゴタゴタが長期間続いたことが、自分の病気と直結しているとわかっていたので、

私もじゅうぶんかわいそうだな…

と、考えの主体を自分に切り替えるようにしていました。

夜の9時に、もうここには帰らないんだな、と、思って、
住んでいた家に今までありがとう、と言葉にして言って、

父にたしか、

元気で、と置き手紙をして、そして、家を出ました。

大して愛着のあるものなんてなかったけど、すべてを捨てて。

無神経な父を愛そう、という努力をやめた日でした。



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