こんなものには価値がない-15

2018年7月10日

私が20歳になるころ、書店で発達障害についての本が目につくようになりました。
(父は当てはまる項目が多い)




私はいつまでたっても治らない起立性調節障害、なかでも頭痛に悩まれていて。
文字通り朝から晩まで頭痛、少し運動するだけで頭痛、そんな状態でした。

ストレス性の頭痛なので、頭痛外来にいっても「偏頭痛」という結果しか出ません。
頭痛薬を忘れて外出、なんて考えられないことでした。

私は20歳を過ぎるころ、2回ほど家を追い出されたことがあります。

そのたびに私は、家を出られて心は元気になっていました。
(家族より外の世界の人たちの方がまともに感じた)

でも、体力がもたなくて、結局1年弱で実家に戻っては入院したり、を繰り返していました。




驚くべきは、自分自身が、

家族が残酷なやりとりしかできない人種であることに傷つき続けているという事実を理解していなかった。

ということ。
自分が傷ついてると自覚してしまったら、生きていけない気がしていました。

実の親が有害な人物だって、自覚するのは大変です。
自覚しちゃったら、自分が哀れになってしまう。

でも

父の言うことは24時間常に変化し、
1日に1回は過去のことを思い出して、無関係の家族を怒鳴って怒りを発散させ、
(大昔の元カノに浮気された話とか思い出すらしいんですね汗)

自分を退職に追いやった上司を思い出しては家族に怒鳴りちらし、

母や娘を異常、まともじゃない、と叫び倒し、近所中に言いふらす。

母は一切わたしを助けたことがなかったので、父の暴力や暴言から自分を守らねばならず、

やがて私は家中のものを壊しまくるという暴挙に出て、父を黙らせることになります。

お風呂のフタはまっぷたつ、
壁は投げた急須からこぼれたお茶の色に染まり、
カーテンはただのボロ切れに。

この家を出たくて出たくて、実際に出られたこともあったのに、
体が弱いという現実のせいで実家に戻らなければならなかったこと。

帰宅すれば1日中父の暴言を聞かされ、
近所の宗教団体との繋がりが密で、自由ではなかったこと。
(出かける直前に家に来たりと、もう、断るのも一苦労)

私はゆっくり休みたかった。
自分の体調を整えたかった。

家庭が休める場ではなかったのに、家庭からでられない辛さったらなかったです。

ただひとつだけ恵まれて(?)いたかなと思うのは、

母は防波堤になってくれない役立たず(!)だったけど、

私のやっていることに口を出さずにお金を出してくれたことです。

母が働いていたおかげで私は、
医療費も、学費も、生活費も、義務教育の時期に学校に行かずに観た舞台、映画、本、遠くに出かけるためのお金にも、まったく困ったことがなかったのです。

たとえ健康だったとしても、一般家庭に生まれていたら、あんなにいろんなことをさせてもらえなかったのではと思うんです。

不登校の時期に体力作りのために買ってもらったスポーツ器具のことも、思い出します。
高校では予備校に2年通えましたし、

長年父がほぼ無職だったのに、母のおかげで何不自由ない生活ができていたのです。

当時は服や持ち物にこだわりがなかったので万年ジャージ女学生でしたが(今もか…)、
あと美食にも興味がなかったですが(今も…)、

見た目質素なわりには、いろんなものを見聞するお金を、たくさんもらっていました。

現在、母と仲直りできたのは、これが理由です。

私が10代のころ、何にも代えがたい経験や出会いに恵まれたのは、母が文句も言わず働いていてくれたから。

夫婦仲はこじれすぎてひどいものだったけど、母には感謝があります。

だから、母が幼いころから体験できなかった家族愛に、少しでも巻き込めたらなあ、とぼんやり思っています…。
(孫の面倒をよくみてもらっているという、親孝行と一石二鳥で…)



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