こんなものには価値がない-16

2018年7月10日

私はかつて、人と目を合わせる習慣がありませんでした。

視力が落ちても、コンタクトや眼鏡を常用することはなかったのです。

当時は見たくないものが多すぎたからだろうと思います。




私は普段あまり人目を気にしません。

常に自分のしたいこと、着たいもの、食べたいものなどを優先しています。

メガネをかけていると、周囲がよく見えすぎてしまう気がして、
人目をはばかるようになるのがイヤなんですね。

ごく一部の友人と親しくできればいいので、その他の「人目」に該当する人たちのことまで考えて行動するということはできません。

それをスルーするために、メガネやコンタクトをつけませんでした。

裸眼なら、至近距離でない限り、目が合ってるかすらわからない(見えない)でいられる。

迷惑な父の、友人たちの目を見ずにやりとりするために、そうしていました。

今はもう関わりがない父や多くの友人たちは、

普通は学校は行くものだよ
現実から逃げちゃだめだよ
もう23歳なんだから遊ぶのやめなよ
その年齢でBL漫画まだ描いてるの?
まだ好きなことばっかやってるの?

みんな努力してるんだから

上記のようなことをよく言っていたように思います。

でも、彼らのいうことを受け入れていたら、私はいま健康になってないでしょうし、
漫画も描かずにいなきゃいけないし、
妥協で好きでもない相手と結婚してなきゃいけません。

それは変ですね。

そして…

そもそも努力してない人がこの世に存在してるっていう前提って、どこからきた発想なのだろうか??

…コレですよ!!

コレ、当時も今も、変わらず疑問に思っているんです。
誰の受け売りなんだろう??テレビかなにかかな??

人って好きなことなら無尽蔵にエネルギー湧く生き物だと思っているので、

その場で頑張れてないってことは好きじゃないことやってるか、
葛藤をまだ解消できてないだけでしょ??

論点ズレてないかな??

って、ずっと、思っているのです。




うまく説明できないんですが、この手の、

前提と論点が周囲とズレてるから生まれる殺伐としたやりとりって、
この世に溢れすぎてる気がして。

このズレを解消するためには自分の感情を自覚して会話を重ねる必要があるのに、
周囲と会話が通じないことが、大きな悩みでした。

自分のやりたいことを優先する発想がない人に、

私は私のやりたいことをやりたい

といくら言っても、理解しあえないものだなんて、当時はわかっていませんでした。

今はこの手の悩みはないです。

キライなことを選択する習慣の人たちと離れたから。

こういう、人間関係の断捨離みたいなことって、
文章にして書くことは勇気もいるし、自分に嫌気もさします。

自分が傲慢すぎる気がして。
何様?って思う内容だと理解はしています。

でも、この考えをどこかで強行していかないと、

いつまでたっても残酷な性格の身内や友人と離れられずに時間を奪われ続けるんですよね。

彼らはそういう自分の考えに満足して生活してると思うのでそれはそれでいいと、こちらは思っているのに。

彼らは一度関わると、同じような選択基準を押し付けてくるようです。
(この押し付けがDVやハラスメントなのだと思う)

「彼ら」って、ひとくくりにしているということに、
ほんと…書いてて自分がイヤ〜な性格に思えますが、
関わる相手を選ぶのってすごく大事だって思うので、書き残します。

私は自分が大事です。

好きな友人と親しくしたいし、
好きでもない相手と恋愛も結婚も考えられませんし、
好きな服を着て好きなものを読み、
好きなことをして
できる限り恨みも持たず、愛情をもって、

好きなように生きていきたいです。

どうしても避けられない困難なこと(キライなこと)は、どうしても必要なことだから。
ほっといても向こうからくると思ってるから。

わざわざ前のめりでキライなことを選択したくないのです。

かつての私には、

彼らの話を聞こうと努力せず、もっと揺らがず、もっと好きにして、あまり落ち込むな、と言ってあげたいです。



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