こんなものには価値がない-12

2018年7月6日

不登校の時期のことを書いてみたいと思います。




私の不登校は、11歳が始まりです。

当時、今より認知度のずっと低かった、起立性調節障害になったことがきっかけです。

駅の階段を上ったあとに、息切れと動悸がすごくて。
その場で座り込んでしまったことで、病院に行って、わかりました。

この起立性調節障害、すごく誤解されやすい病気です。

成長期に急に血圧が下がるようになって、朝が起きられなくなるのです。

めまい、頻脈、微熱や頭痛、胃痛が日常的にあらわれますが、どの症状もかわるがわる訪れるので、自分でもわけがわからなくなります。

昨日食べたものが悪かったからだろうとか、
昨日ずっと読書してたから頭痛肩コリになったんだろうとか、

なんとなくそうやってやり過ごしてしまうんですけど。

でも、確実なのは、

起立性調節障害でいるあいだは、たった1日でも健康な日はないということ。

毎日毎日、虚弱な自分のまま。
できることに限りがある状態で、生活しなくちゃならなくなるんです。




当時の私の血圧は平均が60-40。
バフ◯リンは月に24錠だと足りなくなり、20代に入ると、50錠入りのものを消費するようになっていきました。

電車に乗れば途中下車も多く、それでテスト期間に高校に行けないこともありました。

背伸びをすれば視界が暗転し、そのまま倒れてしまいますし、

冷えが悪化して、午後には微熱が出るので、
寝た状態で漫画を描いたりもしました。

通院もしましたが、改善されないままでした。

たぶん、私が過去のことを一応書き残しておかなきゃ、と思う理由って、起立性調節障害のこともあると思うんです。

うつ病やADHDは多少、世間での認知度が上がってますが、
起立性調節障害って、メディアに取り上げられるわりには、まったく認知されていません。

誤解をうける理由のひとつが、

症状が日によってコロコロ変わるっていうのがあるかもしれません。

午後になれば少しずつ血圧が上がるので、時間によっては元気に見えるというのも、誤解のモトです。

でも、確実に、普通の生活を送るだけの体力はないのです。

私は中学校に行かないでいるあいだ、日中寝たきりになっていました。
だから体力が落ちないように、夕方からジョギングしたりしていました。

でも…でも!!

体力がついたという実感はありませんでした…。
(運動してたからあの程度ですんでたとも言えるでしょうけど…)

走ると頭痛でのたうちまわることになるので、
ジョギングもそのうちやめ、長時間のウォーキングに切り替えました。

不登校してるあいだ、万歩計つけて、1日3時間ウォーキング。

当時、周囲にまったく理解されないながらも、
ずいぶん自分のためにがんばっていたもんだなあと、振り返ってみて、思います。

学力も落ちすぎないように、読書と問題集をノルマ掲げてやっていました。

もう、そういう、制限が多い日常で、

どうして数少ない体調のいい日にわざわざ学校行く必要あるの??

って、思ってました。

体調のいいときは、母にお金をもらい。

映画を観にいき、バレエを観にいき、コンサートに行き、

お菓子作りにハマってるときは問屋街に行き、

同じく不登校だった友人たちとは卓球の市民大会に出たりしていました。

私には私の、人生の楽しみ方がありました。

そこに、特に学校に通うという選択肢はなかった。

当時、

学校から逃げちゃダメだ!

とか、けっこういろんな人に言われた記憶があります。

でも、なんというか…考えてることの前提が、彼らとまったく違ったんですよね。

学校って、数ある選択肢のうちのひとつというか…。

ただ単に、行きたくないから行かない、というだけだったんです。

勉強については、私自身が勉強に興味があれば、言われなくてもやるわけで。

人間関係も、「あの子と仲良くなりたい!」って思ったら、誰に言われなくても自分から近づくわけじゃないですか…。

他にも挑戦したいことがあれば、言われなくても、勝手にひとりでやっていたんです。

なんというか、

自分でやりたいこととやるべきことを、体力的に制限がある中で、
ある程度は冷静に判断して、こなしていたのではないかと思うんですよね。

周囲の忠告と私自身の感覚のズレを、当時はうまく言語化できなかったんですが…。

同級生たちは、
私が学校に行かないのは遊んでいるからじゃないか?と言ってきたこともしばしばありました。
(平日の昼間から書店などをウロウロしていたからだと思います)

それって当たっているといえば当たっているんですけど、正確には

自分に課したタスクをこなす生活にエネルギーを注いでいた

のです。

私は自分が不登校していた11歳〜15歳のころを振り返ると、今でも身体にエネルギーが満ちてくるような気がするんです。

体は健康ではなかったけれど、

自分で自分のやるべきことを、すべて自分で決めて生活していました。

家庭内は荒れて、父も母も暗い表情をしていたけれど、私の心はすごく、自由でした。

自分で決めて自分でやると、当然ですが、結果に関わらず、

自分の決断に後悔することがなくなるんです。

あのとき、あの時代、私は自分を信頼する土台作りをしていたんじゃないかと思います。

私の体験した自由さは、かけがえがないものです。

そういう意味で、
私のことをいい意味でも悪い意味でも、放置し続けた父と母には、実はすごく感謝をしているのでした…。



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