こんなものには価値がない-11

2018年7月6日

ちょっと前、父の日に向けて、世間が騒がしかったですね。

いろんなネットショップで、駅ビルで、郵便局で、コンビニで。
父の日ギフトの宣伝やチラシ、カタログを目にします。




父の日…
なんどもチラチラ、父の日ギフトのカタログを見て、なんども閉じる。
6年会っていない父になにか送ろうかなと思いつつ、結局は送らない、と答えを出す。

毎年、父の日は自分の中でこのやりとりを繰り返します。




私の父は毒親の総合デパートみたいな人です。
(DV、モラハラ、酒乱、新興宗教の幹部、家族の悪口でっちあげて言いふらすなどなど)

色々まんべんなく網羅してるので、ある意味ひろく浅いDVと言えるかもしれませんが…。
わりとヘビーな親なので、このことをいつかきちんと書きたいと思ってきました。

書けば、なにかが先に進む気がして。
でも難しい。

以前、旧ブログでも記事にする努力をしましたが、どうにもしっくりこなくて。

そのときは記憶がまだ、自分に近すぎたんだと思います。

でも、父と会わなくなって6年たって、私自身も出産したことで、
父から、不快な記憶たちから、ずーっとずーっと遠いところまで来たなあ〜と感じていて。

だからもう、当時のことを思い出して描いても、以前ほど苦しくはならないかもと。
ちょっと望みを抱いていて。
先に進みたい、という欲求を、昇華させたい。

なんかそういう複雑でぐずぐずした部分を、素直に描けたらなあ、とは思うんですけど。

古い記憶では、30歳の家出のときまで、
年がら年中、不快な気分でいたことを覚えています。
実際、そうだったと思うんです。

不快感が生活のベースになっていて、そのうえに、たま〜に友人やなんかとの楽しい記憶もある、というかんじ。

いま現在とは、ベースにある感情がまったく違います。

いまはベースが楽しさ、嬉しさ、穏やかさで。
その上にたまに不快なこともあったり、楽しさが上乗せだったり。

不思議。

父のことを大事に思う気持ちも、
父のような人物とは2度と関わらない方がいいという考えも、

どちらも自分なのですけども。

人は本当は善良でありたい生き物だ、という、私なりの性善説を今も支持しています。

でも、私の幸せや私の大事な家族、大事な人間関係のためにも、

父と2度と関わりを持たない方がいいというのも理解しています。

出産して実感したのが、人生って短いんだな、ということ。
短いというか、期限があるんだなって、そういう感触があったんです。

関わって不快な気分にさせられる誰かのために、時間を使うのは惜しいんじゃないかって。

そう思ったら、父や、その他、当時きゅうに訪れたたくさんの人との別れを経験したことを、すんなり受け入れられました。

もしかしたらあれから6年たって、父も変わっているかもしれませんが、

それならそれで、父には私の知らないところで、幸せになっていてほしい。

不快な経験を共有したことがある相手と、わざわざまた人間関係をやり直すのは、それこそ生まれ変わってからで充分じゃないのかって思います。

シニア婚が流行ってますしね。
ふところの深い女性と出会えて幸せにさっさとなれ、その方が被害も少なくて済む。

…って、願っています…。



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