こんなものには価値がない⑨

2018年7月6日

記憶が細かく断片的で、時系列を追って書いていくのが難しいです。
順序がバラバラですが、

4年くらい前に母と離れて、

そのあと

2年くらいまえに、母と和解しました。




家出の計画を立てたのが2012年の9月。

父と離婚したいとようやく言った母に、初めて私はお金を使いました。

長いあいだずっと体調不良に悩まされてきた私にとって、お金はすごく大事なものでした。

アルバイトやアシスタント、デビューのあとの原稿料。

どれもこれも、一日中続く息切れや動悸、頭痛などと戦いながら稼いだお金でした。

その大事なお金を家出の費用に使ったのは、

母が離婚してくれれば、まず父を捨てられるから。
そうすれば私の健康問題はほとんど解消する気がしていました。

今まで自立しようとして、2回家を出たことがあります。
でも結局、体力がもたなくて、1年ももたずに実家に帰らざるを得ませんでした。

そしてそのあとは決まって、父にも母にも怠け者と言われるんですよね。
(今となってはなおさら否定しませんけども…勤勉はキライですし…)

父は母のアラ探しをして母から長年自信を奪い続けていたので、
母は父の言うことをなぞるようになっていました。

そういうときは生きるのがほんとうにイヤになりましたが、

私が生きることを放棄するより、両親が制裁を受けるべきじゃないのか?

という思いがありました。

家が正常じゃない、でもそれは私の責任ではない。
私がするべきなのは健康問題にとりくむこと。

そして私の中では、

母はいつか目を覚ますんじゃないだろうか?

という気がしていたんだと思います。




昨日テレビで辺見マリさんの洗脳騒動などについて特集していました。

ちらっとしか観ていませんが、

洗脳って、完璧主義で罪悪感が強すぎる人が受けやすいのかなあって思います。

父が家族に言う不満の内実は「俺のサンドバッグになれ」というものです。

サンドバッグになってでも俺を大事にしろ

です。

でも、我が家の働き手は30年間ずっと、母でした。

生活費すべて担っていた母が家事をパーフェクトにやるというのはどだい無理な話です。
加えて
夜勤明け、父がやっていた新興宗教の集会にも出ることを求められるって…。

父の文句はいつまでも続き、要求も増えていきました。

当然ですが、母は脳梗塞になったり、手術をしたり、
どんどん弱っていきました。

辺見エミリさんがテレビで言っていたことは理解できる気がします。

やめてと言ってもヌード写真集の撮影に行ってしまう辺見マリさんのあの、頑なさ。

私が母に望んでいたことは、父との離婚です。
物心ついたころから、暴力的な父を捨ててほしかった。

私が11歳で病気になったあと、
父の横暴さが悪化してきたので、私は暴力で反撃し、自分を守る努力をしました。

父はあからさまに私をサンドバッグにすることはなくなったものの、
母をより一層サンドバッグにしていきました。

そういう両親を見て育って、私はもしかしたら、
望んで病気になったのかなという気もしています。

私はかつて、家を出たいとどんなに願っても叶わなかったのに、
母が離婚を決意した途端に、みるみる健康を取り戻しました。

まるで、当時のその瞬間までタイミングをはかっていたみたいに。

母が別れを決めた瞬間に、すぐ助けられるように。

6年まえを振り返って思うのが、

人間って、親を救うっていう本能をもともと持ってるんじゃないかなと。

私は非常に利己的な性格ですが、私なりの基準で、そこそこ善良だと思っています。

その善良さが、母を助けたいと望んでいたのかも??と。

結局いま、私に謝ってくれた母と、和解してるわけですし…。



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