こんなものには価値がない⑦

2018年7月5日

大島一家のDVやなんかについて、ここ数日立て続けに書いていて思いました。

今のこの穏やかな生活をしていると、イヤな過去のことを思い出すことはできなくなっていくようです。

いま現在が楽しすぎるんですよね。
家族が仲良くて、私も育児の合間に好きなことをやらせてもらってて。

こうやって記事にすることも、目的があるからやれていることですが、
(かつての自分と似た境遇の人に届きますように、という目的)
それがなかったら書けていません。

日にち薬と言いますが、
イヤなこと、傷つけられて本当に不快な思いをしたときに、相手を許していくためには、自分が幸せになるしかないんだなって実感します。

これはとても楽天的な考え方だと思うので、苦悩の渦中にいるときにはなかなか、心からそう思えないものですが…。

私の父はいつも怒りにあふれていて、
私か母のどちらかが忘れものかなにかしたりするだけで、怒るだけでなく怒鳴って恫喝し、人格否定までし出す人でした。

父は、過去のイヤなことをひとつも忘れられないで、腹に溜め込んでいたのだと思います。
怒りのかたまりでした。




私は生い立ちが暗いわりには、育った家庭をなぞるような、過酷な人間関係は周囲に存在していません。

たぶんその理由は、私に、父とよく似た自己中心性があるからだと思います。

目の前にやりたいことがいっぱいあるのに、自分の時間を犠牲にしてまで赤の他人に尽くす、ということができません。
(亀とか子どもとか、監督責任のある対象については別です)

好意を持っていない相手の相談話を聞くのも苦手ですし、
楽しくないと思った相手と親しくすることができません。

これ、できる人とできない人がはっきり分かれる事柄だと思います。

私はできませんし、
父もできない人です。

でも母はできます。
(性格的に情が深すぎるところがあって…)

この、母みたいに、

本来、他人に尽くすことで幸せを感じる人かどうか?

というのが、DVされやすいかどうかと関係するのだと思います。

DV加害者って、自分が不満でいっぱいなのを満たしてもらうために、
尽くさせて尽くさせて尽くさせて、罵って自信を失わせ、精神的に支配して、

それでも不満を埋められずに不毛なワガママを増長させて、結局、パートナーを使い古すようにして、別れを繰り返すんですよね。




どうしてDV加害傾向のある人って、
自分は社会的な立場の高低で他人を判断しているのに、
パートナーには無償の愛のようなものを求めるんでしょうね。

根本的に人間は愛がなければ生きられないということだとは思いますが、

家族から愛をもらうだけもらって、自分は暴言暴力を返す、というのは絶対ダメ。

我が家では母が父に怒れない人だったので、
思春期を機に私がひとりで戦わなければならない状況になって。

加えて起立性調節障害も悪化していったため、心身ともにキツかったです。

そんななかでもひとつだけよかったかなと思うのは、

一部、父と性格が似ていたために、
父のような人とはプライベートであまり縁がないってことでしょうか…。



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