こんなものには価値がない⑧

2018年7月6日

私の父がDV父さんでした…
っていっても、あまり具体的に説明をしてないことに気づきました。




⚫︎義父のお金を盗む
⚫︎母の私物を売る
⚫︎新興宗教の強要
⚫︎転職の連続で生活費を入れない
⚫︎日常的な人格否定
⚫︎物理的な暴力(これは10回未満)
⚫︎義父が母に贈与したお金で自分の欲しい車を買う
⚫︎母と娘の悪評を脚色して言いふらす
⚫︎働かないのに手作り料理を望む
⚫︎1日5回以上は怒鳴る
⚫︎飼っていた猫が20歳になるころ、亡くなる直前まで、安楽死させる!と連日怒鳴る
⚫︎節約のためにと、たまに果物を買うだけで激怒
⚫︎節約のためにと父が作ったまずい料理を大量に食べさせようとする
⚫︎母を義父の葬式に出席させなかった

などが特筆すべき内容かな?と思います。

そのほかに日常生活では数え切れないくらい無神経なことはもちろんあって、

床に広げて読んでる新聞のうえをわざわざ踏んで横切るとか
映画を見てるときに目の前で掃除機をかけるとか
起こしても朝起きないのに遅刻すると大激怒とか

まんべんなくハラスメントの種類を網羅していたんじゃないかなと。

そもそも私が起立性調節障害になった原因はきっと、
成長期だったから、というものだけではなくて、

日常的に不快なことが連続して起こっていたからだと思うんですよね。

イヤな事柄が多すぎて健康を害した可能性が高い。

人が不快になることを無意識に察知してやってるんでしょうが、
タイミングが絶妙すぎて。

人を不快にさせる天才というか。

これに加えて

ありがとう
ごめんなさい

が言えないとなったら、そりゃ転職の連続になるのも当然。

父は罪悪感を持たせる言い方がうまいので、
他人の言うことに耳を傾ける習慣がある優しい人は、

ターゲットになったが最後、悪評を拡散されて
ATMとサンドバッグの役割をやらされて
病気になっても働かされる

という。
すべて母のことです。

母が手術をして会社員からパートになったとき、術後1ヶ月も経たないうちに父は働け!と言いだしてたようです。

母は、自分が病気になってはじめて、父が冷徹だと気がついたのだと言っていました。
(30年夫婦やっても気づくまでこんなに時間かかるなんて…ハァ〜…)




当時、アシスタントで家に寝に帰るだけだった私は一切、そのことは知りませんでした。

母が父から私を助けなかったように、
私はどんなときも母を助けたことがありません。

母が「離婚しようと思う」とようやく決めた、2012年の9月まで、たぶん1度も。

理由は、

私が病気になったとき、母が私を父の暴力から助けなかったから。
そして、母が助けを求めたことがなかったから。

私は感謝もしていない、監督責任のない相手に、見返りもないのに尽くすということができません。
それが自分の親であってもです。

当時、母は私を善意がないとかなんとか言っていたように思います。
でも…

母が私の学費を稼いだとはいえ、
私にとってみれば、暴力的な父を早くに捨ててくれる方がありがたかった。

私はエリート目指してるわけじゃないんですから、学費払ってくれるより、
母がさっさと離婚して、平和でストレスの少ない生活を送れるようになる方がずっとマシでした。

そうなってたら、私も起立性調節障害になんてならなずにすんだかもしれないのです。

母がようやく離婚を決めた時期は、たまたま私がデビューした直後でした。

母と深夜にふたりで、父を捨て、家出するために計画を進めて、
私が初めて母のためにお金を使おうとしたとき、心のなかで、

私の健康問題がクリアしたら母も捨てよう

と、考えていたのを覚えています。

性格が多少優しいけれど、長いあいだ私を助けなかった母。

健康問題がまだ私に残っているから一緒に家出するけれど、

2年以内に健康を取り戻したら、足手まといになるから母からは離れよう

と、計画していました。



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