こんなものには価値がない⑤

2018年7月2日

ど〜も過去のことを書くと、
感情的な文章というか、断定的な書き方になってしまいます。

原因はたぶん、父や、一方的に私に関わってきた迷惑な人たちに対して、
彼らを拒絶できなかったという心残りがあるんだと思います。

もしかしたら、このクソみたいな人間関係にもそれなりに価値があるんじゃないだろうか、と、
29歳まで、無理やり思い込もうと努力をしていた自分がいるので。

生まれたときに周囲に存在していた人間関係のほとんどが、
とても無価値なものだと知るのは、つらいことです。

加えて私自身の起立性調節障害という健康問題があって。
両親が離婚するときまでこの病気には悩まされていました。

病気でなおかつ、家庭内がすごく不和、迷惑な宗教団体までついてくる、
当時の友人のほとんども家庭内不和の出身が多いので、彼らも思いやりがわからない。

なんだか自分がすごくみじめに思えて。

こんなこと自覚したら、生きていけないって思っていました。

だってまだ義務教育の途中です。
家を出たくても、まずムリですし。




中学校に行かない間に読書をするのが好きでした。
当時、加藤諦三さんの本のなかに、

「生き延びるために、保護者である親を善い人だと思い込む必要があった」
「親が自分を傷つけ喜ぶ人間であるという真実を知ってはならない」
「若いうちは真実を隠蔽しなければ生きていくことはできなかった」

というニュアンスの記述を読んで。

ああ、自分の家はおかしいんだって、知りました。

他にも、漫画家の槇村さとる先生のエッセイ「イマジン」や、
当時ベストセラーになっていた「シーラという子」などを読んで、

少しずつ、少しずつ、自分の家の異常さを知っていきました。




当時、父に人格を否定され続けながらも生活費を稼いでいた母は、
職場では重宝されるという現実が心地よかったのだと思います。

家にいるときは疲れているのもあって、寝てばかり。
父によって上手く言いくるめられ、母方の実家にも新しい住所を教えずに引越しをしました。

これによって母は、軽い軟禁状態になったのでした。

人格否定と働きづめの毎日、実家とも疎遠になり…って、

ドメスティックバイオレンスの基本的な被害パターンです。

母はもともと人間不信が強い人なので、ただでさえ周囲に自分の窮状を訴えたりはしません。
そして残念なことに、私を助けることもしない。

母は完全にただのATMでした。

10歳のころ、私が家のカギをなくしたことがありました。

そのとき父が私の部屋にやってきて、
ノートや本を蹴飛ばしながら、

「なんでないんだよ!」

と絶叫していたのが印象に残っています。
(怒鳴る、というよりも絶叫。語尾が言い捨てているようなかんじだから)

当時も今も、

なんでこんな扱いを受けないといけないのか?

という思いだけがこみ上げてきます。

結局蹴り上げたノートの下からカギは出てきたのですが、
当然、父はノートや本を元に戻すことはないわけです。

腹の底からこみ上げてくる怒りに、体が焼けそうだった気がします。

母は見ないふり。
いつも、その場にいても見ないふりしかしませんでした。

父が私をうしろから蹴飛ばしても、見ないふり。

家庭内暴力って結局、人生が思い通りに行かない人の、やつあたりなんですよね。

そんななか、読書だけは私の味方でした。

活字は現状を冷静に教えてくれる存在でした。

私の家庭は異常だから、今のこの不調はすべて、私が悪いわけではない。

両親に

「お前は怠けている、お前はおかしい、生まれつき善意がわからない人間だ」

と言われつづけて、周囲に味方もいなかったため、その通りなのかもしれない、という思いがありました。

でも、読書をしていると、私と似たような境遇の主人公(作家のエッセイや実体験なので作家本人)があちこちにいることを発見するわけです。

そして彼らは大抵、欠けた自信を取り戻し、大人になって仕事をしていく中で、親を捨てる瞬間を迎える。

そうか、害のある親を捨てれば、すべて解決するんだ!!

そう思って私は、まず自分が何をしたらいいか考えました。

自分の健康問題をクリアするために。

そしてこのころ

いつか、父を捨てる日がくるんだな、と、理解したのだと思います。



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