こんなものには価値がない⑥

2018年7月2日

10歳のころ、飼っていた猫が病気になりました。

オスだったので、結石。

トイレをすぐに覚えた猫だったので、あちこちでおしっこをこぼす(この言い方が事実に近い説明だと思う)なんて、病気だとすぐにわかりました。

私が飼いたくて飼った猫です。
当然大好きなので、心配です。

母に獣医さんとこに連れてってくれと何度も頼みましたが、母はそのたびに無視。

「すぐに死なないから」

と言う始末でした。

結局、不快な思いを抱えながら、苦手な父に猫の病気のことを伝えたら、その場ですぐに獣医に駆け込むことになり。
無事助かったのですが、

あと30分遅かったら膀胱が破裂していましたよ

と、獣医さんに言われました。




このとき母に対して、憎しみが生まれたのを覚えています。

この人は、私のことも、猫のことも、助けない人なんだ、と思って。

父の方がまだ、頼めばなんとかしてくれることも多いように感じて。

子どもにとっては、飼っている猫に適切な治療をしてくれる親かどうかって、すごく大きなことだと思うんです。

①母は当時、お金が足りないから
②父に頼むのが嫌だったから

このふたつを理由に、猫の病気を見ないふりしたそうです。

もしあのとき猫が死んでいたら?
きっと、私は父とも母とも、今ごろ断絶していたと思います。




不思議なのは、父のほうが、生き物に対する思いやりが強いように感じるということ。

6歳のころから15年飼っていた金魚の面倒をみていたのは父でした。

金魚がまつかさ病という鱗の病気になったときも、

父は消毒した針で鱗ひとつひとつに穴をあけ赤チン染み込ませて、治してしまいました。

これ実はすごいことじゃないのか、と、当時も今も、思ってます。
(一般的にまつかさ病はマラカイトグリーン液を水槽に入れるしか手はない)

父は仕事さえうまくいっていたら、もう少し関わりやすい人間だったかもしれません。

私は現在、結婚も出産も父に知らせていませんが、

ここまで断絶してなお、父のことを大切に思う気持ちがあります。

きっとそれは、父が、いろんな生き物を長く生かすべく、手を尽くす人だったからだと思うんです。

そして私にとっては、言葉にして頼めば、ある程度の願いは叶えてくれる人でもありました。

父に、あそこまで根深い社会に対する疎外感がなければ、きっと、仕事もうまくいって。
両親は離婚せずにすんだのかもしれない…。

すべては if の世界ですが、

そういう、建設的な未来もどこかにあったのだと思います。

実現していないことであっても、一瞬でも思い浮かぶということは、

その方向に進む可能性があるから脳裏に浮かぶんだ、ということだからです。



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