こんなものには価値がない②

2018年7月1日

このところ起立性調節障害について、耳にする機会が増えました。
ネットニュースやテレビ、漫画なんかでも扱われたりしていますね。

起立性調節障害をODと呼びます。
成長期に血圧が下がって、朝起きられなくなる病気です。

私はかつて、ODでした。

発症したのは11歳の夏休み。
さいきん息切れや動悸がひどいなあ〜と思っていたら、ある日、起き上がれなくなっていました。

その年は初めて夏期講習に通っていたのですが、
入院が決まったので、途中で退塾しました。

ODの症状は、息切れ、頻脈、めまい、低血圧、頭痛、胃痛などです。

私は1週間入院したあと、9月から体育の授業を見学するようになりました。
朝も起きられず遅刻も増え、少しずつ欠席が多くなっていきました。

当時の血圧は60-40。
頭痛でバファリンを頻繁に飲むようになっていました。

頭痛がひどくなるとあごにも痛みが移り、痛みで眠ることが難しくなり、どんどん不健康になっていきました。




もしいま、私の娘がこういう症状で悩んでいたら、どうするでしょうね?
当然ですが、治療に時間とお金を注ぐと思います。

子どもを産んだら、子どもの健康状態を把握する努力をするのは、あたりまえのことだと思っています。
監督責任のある対象に対して、健全な接しかたを考えていくのが大人なんだと思います。
(亀4匹飼ってるんで、亀たちに対してももちろん、そうですね)

ところが私の両親はそうではありませんでした。

健康ではない状態の私に、

「みんな学校に行ってるんだ、なんでお前は行けないんだ!」

と言うばかりでした。

当時、日に日に痛み止めの量が増えても、私は自分が不健康だと気づきませんでした。
家族に言われるがまま、自分が怠けているからだと思い込まされていました。
学校でも、私の私生活を知らないクラスメートは、当然私を一方的に責めます。

でも、いまになって振り返ってみると、その評価は全然正しくなかった。




私は朝起きたら背伸びをします。
当時も、今と同じように背伸びをしていました。

ただ今とまったく違うところは、

背伸びをしたらそのまま視界が暗転して、倒れること。

この状態ひとつとっても、どこがこいつは怠けてるってことにつながるのでしょうか。

私は体力的に、学校のカリキュラムについていくことができなかった。

これが真実です。

でもなぜか当時は、私の状況を理解してくれる人がひとりもいなくて。
頭がおかしくなりそうだったのをはっきり覚えています。

私の父は有名な某新興宗教を盲信していたので、
その宗教関係の人たちが近所中にいるんですね。

その人たちが代わる代わる、うちにやってきては、私に「遊んでるの?」と聞いてきたことはもう、吐き気がするような思い出です。

私はそういう状況の中で、どんどん小学校に行かなくなり、
中学校はまったく行きませんでした。

でもこの選択は正しかったと思っています。

自分の中にある、

私自身をもっといたわらないとダメだ!

という感情を、優先してよかった。

当時はうまく言語化できないながら、
むりやり学校に行ったり部活をしたり、宗教の集まりにいったり、ということは間違っている、という感覚がありました。

楽しいとも思わない環境や人間関係のために、自分を削りたくなかったんです。

このころは軽々しくモノを言うクラスメートたちに対しても、
不信と軽蔑の気持ちが強くなっていました。

もっとまともな人と関わりたい。

ふと気持ちが緩んだときに、切実な思いが込み上げていました。



Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です