こんなものには価値がない①

2018年7月1日

さいきん育児にまみれています。
なんというしあわせ。
子どものころ、自分が誰かと結婚して子どもを産むって、まったく想像していませんでした。
いつも、先のことは想像せずに生きてきています。
そこに明確な信念なんかはなくて、自然に。
夢や希望や、逆に暗い未来も、とくに思い描いたことはありません。

そういう性質なんだと思います。




私はいつかきちんと、自分の育った家のことを書こうと決めていました。

自分の家で行われていたモラルハラスメント、暴力や、経済的なDV、新興宗教の盲信などについて。

私がかつて若いころ、
私と似たような境遇から脱出した作家の物語などを読んで、救われていたように。

私も書く側に回ったほうがいいんじゃないかと思っていました。

そう思って、1年前にブログで書き始めたり、漫画のラフに描き起こしたりしてみたんですが、どうもしっくりきません。

過去のことを思い出してしまうのがつらいから、ということなのかな?
なんて…
自分のことですが、うまく説明できません。

もしかしたら、ただ単に書く気が起きないくらい、自分の過去に興味がなくなっているからかもしれません。

私はとても飽きっぽいので、その説明のほうが正しい気がします。

自分の哀れな過去に興味がないし、価値があったとも思っていません。
だから、過去のものはほとんど捨ててしまいました。
名前も、戸籍から改名してしまいました。

両親が離婚して母の旧姓になり、
裁判所に申立して下の名前を改名して、
結婚して。

今はもう、生まれたときとはまったく違う名前です。

以前の名前で私を呼ぶ人は、3人もいません。

今の新しい生活は、とても楽しいです。
生まれ育った家庭をなぞるようなトラブルは、どこにもありません。




12歳のあるときに、

「まともな人と関わりたい」

と、切実に願ったことがありました。

でもすぐに私は、自分のその思いを打ち消して、
なんて自分は傲慢なんだろうと言い聞かせて、そうやって、ずっと言い聞かせて、言い聞かせて、言い聞かせて、
息が詰まりそうになりながら、生きていました。

そして20年くらいたって、あのときの願いは、叶いました。

日常的に愛のある言葉を使う人たちはいても、
残酷な言葉を使う人はどこにもいません。

DV記事アイキャッチ

家族や周囲に、お前がおかしい、と思い込まされて生きてきました。
こうやって書いていると、リアルに当時の息苦しさを思い出します。

きっと、傍目にはわからないだけでこの世には、私と同じような思いを抱えて生きている人たちがいるんですよね。
きっと、いっぱい。

そういう人たちに読んでほしくて、なんども自分の記憶をさかのぼって、
作品として形になるように書いて、考えてきました。

でも、それ、難しいので。
技術的に。
残念なことに私はあまり、物語の構成力がないので。

口語も交え、日記として書き残します。

このDVカテゴリの記事が人目につく、ブログのトップにくるべきではないと思っています。
ですので、日にちは過去記事ということにします。

父を捨て、母と深夜に家出をした日からの設定です。
正しい日にちは記事内に手動で残します。

この記事が、届くべき人に、届きますように。

哀れだけれどもとても自由だった、かつての私を愛しています。



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