こんなものには価値がない③

2018年7月1日

子どものころから、周囲に理不尽に振り回されてきた、という思いがあります。

親の夫婦仲が怒りに満ちたものだったため、家庭内がとても息苦しかったのです。
私の気持ちを真正面から、きちんと聞こう、という態度の大人が、家族を含む周囲にはまったくいませんでした。

やがて訪れた反抗期。
自分がただ平穏な生活を送るためだけに、暴力に対し暴力でやり返さないといけなかったのです。
(痛み止めや胃薬を飲みながら、病身で暴れるしかなかった)

この状況って私が、

9〜29歳までの人生はまるでクソだった

と断定しているのも無理はないと思うんです。

そもそも私の父は、新興宗教を盲信していました。
私は0歳の時に入信させられ、名前までもらっているわけです。
(本当〜にありがたくない)

私が自分で決めて入信したわけではない、その宗教団体でつけられた名前。

これがたとえば、両親が自分たちで話し合って決めた名前だったらどうだったか?
おそらく、
裁判所に申し立てをして改名、なんてことまではしなかったんじゃないかと思います。

親が考えてつけてくれた本名なら、捨てる、という発想すら浮かばなかったと思います。

信仰って、ものすごく大事なものです。

私は神社が好きですが、
私にとっての神さまは、どんなときも常に話しかけ、頼み、いろいろ聞いてもらえる、
それこそ老いてもずっと見守ってくれる、本当の親のような存在です。

それを、勝手に信仰してもいない宗教に入れられて、
そこの人間関係とほぼ毎日関わらねばならず、
拒めば「逃げちゃダメ」「殻を破ろう」とか…。

彼らは本当に会話が通じない人たちで。
ものすごく単純で、暗くて、無神経に感じたのを覚えています。

母は集会には行かないんですが、私を助けることはなかったので、
父と、宗教団体のひとたちがみんな似たようなことを言ってくると、

この世界で自分だけがおかしいの?

…と、自分ひとりが宇宙人みたいに思えてくるんです。
(映画みたいですね)




起立性調節障害(OD)で不登校になれば、

「信仰心が足りないから」

いや、そうじゃなくて、本来なら治療するべき案件じゃないですか…。

生活圏内が会話の通じない人たちで埋め尽くされると、途方にくれることが常態になっていきます。

生活圏の外にいる人たちは、当然ながら私の病気のことも知らない。
私のおかしい家庭内のことも知らない。

だから私が学校に行けないことを、怠けているから、と断定してくるんですよね。




もともと私は幼いころから、
嫌だと思ったことや、楽しくないことを受け入れることができません。

一緒にいて疲れる人と仲良くできないし、
重たいランドセルを背負って学校に行くことが無駄だと思って、10歳の頃にランドセルを処分したりしています。
(塾用のリュックで通学した)

私の家族は自分のことを自分で決められない人たちでした。
自分の素直な疑問や感情も、自覚できない人たちでした。

みんな頑張ってるから頑張るべきだ〜とか(何を頑張るのか?)
常識ではこうだ〜とか(何を基準にした常識?)

そんな会話ばっかりなんですね。
思考停止してしまってるので「みんな」「常識」がどれのことなのかをまったく考えていないんです。

だから、こちらが話をしようとしても、本音を自覚する習慣がないので、会話が通じない。

そのせいで私は、この人たちに話してもムダだから、
自分の行動は自分で勝手に決めて進めていく、というクセがついたのだと思います。

ずっと無自覚でしたが、
理不尽な扱いを受けていたにも関わらず、
好き勝手に生きてこれたような気がしているのはこの性格が理由なのだと思っています。

相談しないで実行するクセのせいでたまに夫婦げんかもありますが、
私は概ねこの自分の性格を愛しています。

腹立たしい生い立ちのわりには、抱えている恨みつらみも少ないのでは?と思えるからです。



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